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中島ノブユキ「メランコリア」へのコメント

「メランコリア」オフィシャルホームページより転載させていただきました。

Release_melancolia

青野賢一(BEAMS RECORDS)
ルドンは、デューラー『メランコリア Ⅰ』のあの線に、フーガを感じていたそうだ。メランコリアは土星の支配下で生まれたひとの気質。ゴヤ『我が子を喰らうサトゥルヌス』で知られる神サトゥルヌスは、土星(=サターン)としても理解されているが、この神は自らの子を喰らう暗黒神である一方、“種蒔く者”を意味する農耕神でもある。そういった視点で本作を捉えるなら、これは、自身の過去の作品を咀嚼し、消化し、そうすることで新たな地平線に現在と過去という時間を数珠繋ぎにして次の時代への種を蒔くという中島ノブユキの試みではなかったか。彼がライフワークとして取り組む『24のプレリュードとフーガ』や、長年温めてきたマーラー《アダージェット》などが、すべてを超えてここに花開く。

荒戸源次郎(映画監督)
中島ノブユキさんには大人(たいじん)の風格がある。支那服を着れば、さぞかし似合うことだろう。中島大人は、やさしい顔をした大食漢でもある。なにしろ、ラブレーのパンタグリュエルのように牛飲馬食するらしい。あの“懐かしいのに新しい”中島楽曲を作り続けている所為で、食欲が異常になってしまったのであろうか?次に会ったら聞いてみようと思っている。

菊地成孔(音楽家 / 文筆家 / 音楽講師)
時間の周回性、環状性、反復性といったものは、一様に総て美しく、悲しいです。サウダーヂという心象もレグレットという心象も超えた、中島さんだけの。としかいいようのない品格のあるメランコリアだと思います。

小沼純一(音楽・文芸批評家 / 早稲田大学教授)
音楽作品とは、それを書きのこす作曲家にとってどんなものなのだろう。中島ノブユキは、自らの音楽をどうつくり、どうのこすのだろう。消えさってゆく景色、その色やかたち。残像のようなバンドネオン。“わたし”は、そして“あなた”は、中島ノブユキと、きっと、この音のかたちにふれあっている。でも、どこで、だったろう?

坂本美雨(ミュージシャン)
天国のように美しい。夕刻のほんの一瞬のまろやかな、世界の溶ける瞬間、雨の一番最初の一粒、どこにもとどめておけない世界中の消えゆく美しい瞬間へ手が届きそうになる。不謹慎かもしれないけど、お葬式の時に流してほしいとさえ思いました。

高野寛(音楽家)
『メランコリア』が部屋に流れ出した途端、旅が始まった。パリ、リスボン、ブエノスアイレス、そして東京。国境と時代を飛び越えた響き。こんなアルバムが2010年の東京で生まれたのは、とても素敵なことだ。

野崎良太(Jazztronik)
中島サンの新譜『メランコリア』を聴いた。最近、自分的に聴く前からドキドキする作品に出会える機会がなかなか減ってきてしまっていたのだけどこの作品は別だった。やはり今を生きる“作曲家”の作る音楽を聴くというのはドキドキする。加えて中島サンはなにより僕の同門の先輩でもある。『メランコリア』を聴いて色々な情景が浮かんだ。久しぶりに浮かんだ。きっと自分の中の色々なとこが刺激されたんだと思う。また次聴くと違う情景が浮かぶのだろう。そんな色褪せない素敵な作品です。

橋本徹(SUBURBIA)
中島ノブユキのメランコリアは密やかに時の挟間をたゆたう。宵闇の霧の中に静かに舞い、忘れかけた面影を浮かび上がらせる。それは優美な哀切と憂愁の露であり、夢幻の表出。僕にはどれも子守唄であり鎮魂歌のように響く。

林伸次(bar bossa)
バッハは神様のために音楽を奏でた。クラウス・オガーマンは大衆音楽にストリングスという魔法のベールを覆いかぶせた。アントニオ・カルロス・ジョビンはブラジルの雨や波をボサノヴァという映像作品にしたてた。僕らの中島ノブユキは21世紀の東京にいながらにして音楽の世界を歴史を旅する。そしてその旅の報告として音楽地図をピアノという筆で描く。そして僕たちも旅をする。メランコリア号という船に乗って。

※ 敬称略・五十音順

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